湿った草を踏みしめるたび、大地がかすかにため息をついていた。
その音は、低く小さなつぶやきのようで、私の歩みを静かに見送っていた。
水を含んだ小径は私の足音を吸い込み、やがてあたりは沈黙に包まれる。
音のない世界。
けれど、そこで植物たちは確かに生きていた。言葉ではない何かで息づき、私の肌に囁きのように降り積もっていく。
それは声なき命の存在感──耳ではなく、感覚で聞くものだった。
家にたどり着き、木の扉を閉めた瞬間、その音が静寂を切り裂いた。
そして、遠くで雷鳴が轟いた。
まるで地の果てからやってきたような、記憶の底に眠っていた何かが目を覚ましたような音。
雷鳴は、過去の咆哮だった。
忘れられた時の底から、名前のない想いに輪郭を与えるように。
それは単なる天候の音ではなく、私の中にある何か──ずっと語られなかった問い、置き去りにした憧れ、見つめられなかったまなざし──そうしたものが音に変わって姿を現したかのようだった。
ふと、冷たい床に素足で立ち、椅子に身を沈める。
雷鳴はもう遠くでしか響いていないのに、部屋の中に、そして私の内側に反響していた。
その残響に思考がふわりと浮かび、言葉にならない何かが耳の奥で震えている。
私の心もまた、ひとつの湿地だったのかもしれない。
穏やかな表面の下に、沈黙が潜み、語られなかった感情が堆積している場所。
その深みに響く雷鳴こそが、記憶という岩盤から漏れ出した小さな哲学だった。
だから私は、耳を澄ませる。
静寂の中に隠された声を拾うために。
あの雷鳴が教えてくれた。音のない言葉こそが、ときに最も深い意味を持つのだと。